ラング&ハイネの新たなる顔
LANG & HEYNE
ラング&ハイネ
ラング&ハイネの新たなる顔
開発責任者“イェンス・シュナイダー”
創業者のひとりだったマルコ・ラング氏がラング&ハイネを去ったと聞いて驚いたが、代わりに開発責任者に就いたのがイェンス・シュナイダー氏と聞いてさらに驚いた人も多いのではないだろうか。
そこで今回は、イェンス・シュナイダー氏の人物像に迫ってみたいと思う。
ドレスデン工科大学で電気工学と精密機械工学を専攻。しかし、実技を望んでいた彼は1年半で辞めてしまう。そして、Glashütte Uhrenbetrieb (GUB/グラスヒュッテ国営時計会社)でアルバイト的な仕事に携わりつつも、職業学校で時計について学びはじめる。当時としてはかなり遅いスタートだった。
職業学校を優秀な成績を残して卒業した彼は、再びGUBに戻り時計師の見習いとして研鑽を積む。その後、時計師としてではなくGUBの訓練生を指導する講師に就く。そんな彼に転機が訪れたのが東西ドイツ再統合の直後だった。A.ランゲ&ゾーネが会社を再建するために社員を募集していたのである。
A.ランゲ&ソーネに入社後、当初プロトタイピストとして働いていた彼は、2000年に設計部門への転属を志願。その後はA.ランゲ&ゾーネの新しい時計における数多くの開発に取り組んだ。とりわけツァイトヴェルクの開発には大きく関わったと言う。
そして、2009年からは創業したばかりのモリッツ・グロスマンで開発責任者に就任。最初のモデル、ベヌーを1年がかりで完成させる。そして、その後も次々と新たな製品を生み出し、モリッツ・グロスマン成功の立役者のひとりと言って過言でない。
時計の開発とは、メカニックとデザインを最適に融合させることを目的としたひとつのプロセスだと語るイェンス・シュナイダー氏。彼にとっては、細部へのこだわりが、ウオッチメイキングにおける高い芸術性を決定づける。
そして、機能性、使いやすさ、芸術性が新規開発と組み合わさったときにこそ、はじめて技術的な完成度と高い美的感覚への満足感が得られるものになると主張する。
しかしながら、時計の工業的生産においては、この主張を実行することがますます困難になっていると言うイェンス・シュナイダー氏。ラング&ハイネで今後どのようなウオッチメイキングを見せてくれるのか、非常に楽しみである。
(文◎菊地吉正)
2019.07.17 UPDATE