生粋のドイツ時計 モリッツ・グロスマン物語 第2回「新生モリッツ・グロスマン誕生」
MORITZ GROSSMANN
モリッツ・グロスマン
生粋のドイツ時計 モリッツ・グロスマン物語
第2回
「新生モリッツ・グロスマン誕生」
前回は初回ということで、そもそも伝説の時計師「モリッツ・グロスマン」とはどのような人物だったのかという点について書かせていただいたが、今回は、その名前と彼の設計思想を再びドイツ・グラスヒュッテの地に復活させた時計メーカー、新生モリッツ・グロスマンについて触れたいと思う。
新生モリッツ・グロスマンが誕生したのは2008年のこと。創設者は現CEOのクリスティーネ・フッター氏。自身も時計師という経歴の持ち主だ。ドイツ最大の高級時計店ヴェンペにて、アフターサービスのウオッチメーカーとセールス・アシスタントを務め、その後もモーリス・ラクロア、グラスヒュッテ・オリジナル、そしてA.ランゲ&ゾーネと名だたる高級時計メーカーに在籍。やがて時計師としてだけでなくマーケティングの分野でも辣腕をふるうようになる。そんななかで、もともとアンティーク時計の修復に興味を抱くなど、19世紀の懐中時計に、手作業による時計づくりの素晴らしさを見いだしていた彼女は、いつしか自身の自社工房とブランドを立ち上げたいという考えを強めていったという。
そして偶然にもある事実を知ることで、この夢は具現化に向けて大きく動き出す。それについて2015年4月に刊行されたクロノス日本版5月号のインタビュー記事でこう述べている。
「A.ランゲ&ゾーネに勤務していた当時、グラスヒュッテで活躍していた時計師の来歴について学んでいました。その過程で、モリッツ・グロスマンの名前が商標として保護されていない事実を知りました」。
時計師としてのモリッツ・グロスマンに魅了されていた彼女は、商標権を保護するため家族の協力を得ながら親族と交渉を重ねるなど奔走したのだった。
そして08年11月11日、彼女は、かねてより抱いていた「グロスマンの遺産の復活」を掲げ、個人の愛好家たちの協力を得て、ついに念願だったグロスマン・ウーレン社をグラスヒュッテに設立したのである。
09年2月、グロスマンが最後に住んでいたと言われる場所にほど近いハウプシュトラーゼに設けた小さな工房兼アトリエ(上の写真)でスタートした新生モリッツ・グロスマン。同年7月にはA.ランゲ&ゾーネで設計を担当していたイェンス・シュナイダー氏を開発部門の責任者として迎え、本格的に時計の開発に着手。そして10年にファーストモデル「ベヌー」を完成させる。
もちろん、そこに搭載された初の自社製手巻きムーヴメントCal.100.0は、クリスティーネ・フッター氏が掲げる19世紀の時計作りを範とする「made by hand(手作り)」を貫き、設計から製造までそのほとんどは手作業で行われた。
そして現在もムーヴメントのパーツの85〜90%は自社で作られるというモリッツ・グロスマン。次回は、その手作業で行われる時計製造の拠点にして、ブランド躍進のシンボルとも言える、2013年に竣工された現在の工房を取り上げてみたい。(文◎菊地吉正)
2018.06.05 UPDATE