ランゲ最上級モデルに搭載されるチェーンフュジー機構
“プール・ル・メリット”のみに与えられる歴史的機構
A.ランゲ&ゾーネのコレクションのなかでも、複雑な機構と高い精度を備えた最上級モデルだけに与えられている称号が“プール・ル・メリット(Pour le Mérite)”だ。この“プール・ル・メリット”の名前は、プロイセン王国で18世紀に制定され、ドイツの自然学者フンボルトがプロイセン王フリードリッヒ・ヴィルヘルム四世に進言し、1842年に科学や芸術の分野で功績をあげた人物に対する等級として設けられた、ドイツの勲章の名にちなむ。
1994年の第1弾コレクション発表以降、現在までにこの称号を冠したモデルはわずか5作(素材バリエーションを含めると計11モデル)しか発表されていない。直近では2017年に発表されたトゥールビヨン、クロノグラフ・ラトラパント機能、そして永久カレンダーを備えたトゥールボグラフ・パーペチュアル“プール・ル・メリット”が記憶に新しい。
この“プール・ル・メリット”は、コレクションの枠に捉われずに展開され、また搭載される機構も様々だったが、唯一歴代モデルに共通して採用されている機構がある。それが、チェーンフュジー(鎖引き)と呼ばれる機構だ。
今回は、A.ランゲ&ゾーネの最上級コレクションで採用され続ける、このチェーンフュジー機構にスポットを当て、改めてどういった機構なのかを解説していく。
起源は15世紀初頭までさかのぼる
そもそもチェーンフュジー機構自体は、マリンクロノメーター時代に生まれ、懐中時計にも転用された古典的な機構だ。15世紀初頭にはレオナルド・ダ・ヴィンチが、すでに似たような構造のスケッチを残していたというから、その起源はかなり古い。アルキメデスが発見したテコの原理を応用した機構で、動力伝達の一部にチェーンを用いることから、ずばりチェーンフュジー機構と呼ばれる。
ゼンマイによる動力は、最大まで巻き上げた状態とほどけきった状態では駆動力、つまりトルクが大きく違う。これが原因となって歩度にばらつきが生じる可能性があるのだが、チェーンフュジー機構はゼンマイの力の低下を補正して、ムーヴメントに常に一定の動力を供給する役割を担う。つまり動力を一定供給し、テンプの振り角を常に一定に保つことで、精度の安定性を高めるという機構だ。
当時より有効な動力伝達方式として知られていたチェーンフュジー機構であったが、一方で多くのスペースを要したため、小型の腕時計へと転用するのは難しかった。それゆえ、腕時計が主流となり次第に過去の機構として忘れ去られてしまったのである。
1990年に復興を遂げた新生A.ランゲ&ゾーネが、その第1弾コレクションとして発表したトゥールビヨン・プール・ル・メリットに、チェーンフュジー機構を組み込んだのである。なお、腕時計サイズにチェーンフュジー機構が組み込まれたのは、これがはじめてであった。
さらにA.ランゲ&ゾーネでは、このチェーンフュジー機構の効果を余すことなく生かすため、開発にあたって二つの安全装置を盛り込んだ。
それが全巻防止機構と全解放防止機構だ。これらは、ゼンマイが完全に巻き上がる寸前および完全にほどける寸前にゼンマイの動きを止めてしまう装置で、完全巻き上げ状態でさらに巻こうとしてチェーンに過大な負荷がかかるのを、そしてチェーンがフュジーから完全にほどけてしまうのを防ぐ役割を持つ。
また、チェーンフュジーを使った動力伝達方式では、ゼンマイを巻き上げる時のフュジーの回転方向がゼンマイがほどける時とは逆になる。そのため、ゼンマイを巻き上げている間も時計の駆動を維持するための手段が必要となるのだが、A.ランゲ&ゾーネではフュジー内部に遊星歯車機構を取り付けることで解決した。この歯車のおかげで、ゼンマイを巻き上げる間も絶えずフュジーからムーヴントに動力が伝達される。なお、この遊星歯車機構は実に精巧で、内径がわずか8.6㎜しかないフュジーに、38個もの微小な部品が納められている。
古典的なチェーンフュジー機構は、工作加工技術の進歩と、“決して立ち止まらない”を信条とするA.ランゲ&ゾーネのスピリットによって、いっそう価値のある複雑機構として現代によみがえったのである。(文◎堀内大輔)
2018.06.29 UPDATE