• facebook
  • twitter
  • instagram
HOME > SPECIAL > 特別連載 「時計産業の聖地を作り上げた名門ランゲ一族の系譜を辿る」③

特別連載 「時計産業の聖地を作り上げた名門ランゲ一族の系譜を辿る」③

 

特別連載 「時計産業の聖地を作り上げた名門一族の系譜を辿る」

 
第3回

グラスヒュッテの名声を世界に広げた
F.A.ランゲの息子たち

 


 

 
 1842年に結婚したフェルディナント・アドルフ・ランゲとアントニア・グートケスは7人もの子宝に恵まれた。
 このうち、リヒャルトとエミールという2人の息子が父と同じ時計師への道を進んでいる。68年には兄のリヒャルト・ランゲが会社の経営に参加(エミール・ランゲは71年)。これに伴って、社名が日本語で“A.ランゲと息子たち”を意味する“A.ランゲ&ゾーネ”へと変更されている。
 

1873年に建設された本社兼工房。ここにはランゲ一家も住み、なかには長さ9メートルもある振り子のついた高精度の大時計が設置されている

 
 73年には本社兼工房を新たに建設し、生産体制をいっそう強化するも、その2年後の75年12月にF.A.ランゲが60歳で死去する。
 
 

2代目ランゲの時代

 
 フェルディナント・アドルフ・ランゲ亡き後、会社は共同経営者となっていたふたりの息子、リヒャルト・ランゲとエミール・ランゲに引き継がれた。
 時計設計技師であると同時に優れた科学者でもあったリヒャルト・ランゲと、商才に長け美的センスにも優れていたエミール・ランゲのコンビは理想的だったという。
 

右/リヒャルト・ランゲ 左/エミール・ランゲ

 
 時計の設計に科学研究の成果を取り入れていった兄リヒャルト・ランゲは、在命中27件もの特許を取得するなど、旺盛な発明精神の持ち主であり、製作技術の発達を強力に推し進め、精度の向上に貢献。ドイツ時計の国際的評価を高めた立役者だ。彼の発明のなかで最もよく知られているのが、晩年(1930年)に取得した時計用ゼンマイに関する特許である。
 これは、ベリリウムを添加した合金には時計の歩度を改善する効果があるというもので、“時計ゼンマイ用金属合金”(特許529945号)という名称で特許公報に記載されている。
 実はこの発明に基づき後年開発されたのが、今日の高級機械式時計の多くで採用されているニヴァロックス社の合金(ニヴァロックス合金)である。
 
 こうして国内外での名声を高めたいったA.ランゲ&ゾーネの評判は、当時のドイツ皇帝ヴィルヘルム2世の耳にも届くことになる。
 1898年に皇帝がオスマントルコ帝国を公式訪問した際に贈呈されたのが、特別に製作されたランゲ製の懐中時計であった。最高品質に位置付けていた“1Aクオリティ”のこの懐中時計は、ケースの表ブタにエナメルで描いた皇帝の肖像画がダイヤモンドで縁取られ、裏ブタには皇帝の冠とダイヤモンドがセッティングさせた、芸術的な仕上がりとなっていた。
 

オスマントルコ帝国のスルタン(君主)に贈呈された懐中時計

 
 他方、芸術的な分野で才能を発揮したのが、次男のエミール・ランゲである。彼は1900年に行われたパリの万国博覧会で審査員を務めると当時に、“百年紀記念トゥールビヨン”を発表。巧妙な設計に加え、イエローゴールド製ケースの表ブタに描かれたエナメル細密画の美しさでもパリ万博の来場者を魅了。その功績を讃えられてフランスの勲章レジョンドヌール騎士十字章を受賞している。
 
 また、1902年にはウィーンのハインリッヒ・シェーファーという人物からの依頼で、A.ランゲ&ゾーネの歴史上最も複雑なムーヴメントを搭載するグランド・コンプリケーションNo.42500を製作。技術力と芸術性の高さを示している。
 

ランゲの歴史上最も複雑なムーヴメントを搭載するNo.42500

 
 大小のハンマー打ち機構(グランドソヌリとプチソヌリ)、ミニッツリピーター、ラトラパント・クロノグラフ、フドロワイヤント、60分積算計、さらにムーンフェイズ表示付きの永久カレンダーを備えたムーヴメントは洋銀製で品質等級1A。グラッフ・エングレービングと呼ばれる浮き彫りのハンドエングレービングを施した美しいゴールドのサボネットケースに収められた懐中時計である。
 

時計製造業によってかつての旺盛を取り戻しはじめた、1910年頃のグラスヒュッテ

 
 フェルディナント・アドルフ・ランゲがグラヒュッテに時計会社を設立した1845年から50年。その間には彼の弟子たちによって多くの時計メーカーやサプライヤーが設立された。それに伴って雇用の数が増え、ささやかながらも裕福と言える時代がグラスヒュッテの街に訪れた。
 彼の死後、事業を受け継ぎ、グラスヒュッテをドイツ時計産業の中心地としてさらに発展させたのはF.A.ランゲの息子たちの功績だろう。
 
 1870年代から1920年前半にかけて、A.ランゲ&ゾーネをはじめとするグラスヒュッテ時計産業は最盛期を迎えたのである。
 
 

20世紀初頭までのグラスヒュッテの主要時計メーカー設立年表

1843

貧困に窮するエルツ山地の人々を支援するため、フェルディナント・アドルフ・ランゲが現地に時計製造業を興すことをザクセン政府に提案する

1845

ザクセン政府がF.A.ランゲからの要望を受け入れて出資。同年、時計会社“Lange & Cie.”が設立される

1854

F.A.ランゲに師事したカール・モリッツ・グロスマンが独立しモリッツ·グロスマン時計製造会社を設立する

1869

ロベルト・ミューレによって、現ミューレ・グラスヒュッテの前身となる会社が設立される

1878

カール・モリッツ・グロスマン主導のもとグラスヒュッテに時計学校が設立される

1893

ヨハネス・デュルシュタインによってユニオン時計会社が設立される

1912

街の紋章に時計製造業を象徴する文字盤マークが追加される

1918

ドイツ精密時計会社グラスヒュッテ(略称DPUG)が設立される。

 
 

<Close Up Collection>
視認性と精度を追求したコレクション


 

 
 18世紀から19世紀にかけては、数多くの著名な科学者や研究者、探検家が活躍した時代でもあった。こうした航海や科学観測には、高精度で視認性に優れた時計が欠かせず、A.ランゲ&ゾーネはそうした目的に適う時計を開発にも積極的であった。そうして製作されたのが、チェーンフュジー機構を搭載する科学観測用のクロノメーター懐中時計やデッキウオッチである。
 
 こうした時計の開発に一族なかでもとりわけ熱心だったのが、2代目のリヒャルト・ランゲだ。
 そして今日、時間計測技術の発展に先駆的役割を果たした敬意の証しとして、リヒャルト・ランゲの名を冠したコレクションが展開されている。
 
リヒャルト・ランゲ・ジャンピングセコンド

リヒャルト・ランゲ
ジャンピングセコンド

科学的観測に用いられた計器に由来するデザインを採用したレギュレーターモデル最新作。その名が示すとおりルモントワールを用いたジャンピングセコンド機構が搭載されている本作の新バリエーションとなるブラック文字盤仕様だ。時刻の最小単位である秒表示をメインに据え、極めて高い判読性を実現すると同時に、右下の分表示の目盛りを赤でプリントし、デザインにアクセントを付けている。また分表示と左の時表示の円が重なる部分にはパワーリザーブ表示を装備。コントラストを効かせた精悍な表情も大きな魅力と言える。
Ref.252.029。K18WG(39.9mm径)。日常生活防水。手巻き(Cal.L094.1)。780万円(税抜)



 
リヒャルト・ランゲ・トゥールビヨン“プール・ル・メリット”

リヒャルト・ランゲ・トゥールビヨン
“プール・ル・メリット”

A.ランゲ&ゾーネで最上級モデルに位置付けられる“プール・ル・メリット”。左下にあるのはトゥールビヨンに連結したストップセコンド付きのスモールセコンドで、このトゥールビヨンを余すことなく堪能できるよう、12時から6時の間は時表示の補助ダイアルが隠れる仕組みだ。またプール・ル・メリットに共通する特別な機構、パワーリザーブが持続する間、常時一定のトルクをムーヴメントの輪列に伝達する“チェーンフュジー”も搭載され、極めて安定した精度を実現している。
Ref.760.026。K18WG(41.9mm径)。日常生活防水。手巻き(Cal.L072.1)。ブティック限定。2293万円(税抜)



 
 
【第4回へ続く】
 
過去の記事
第1回 ドイツ時計産業の聖地へと発展した街
第2回 グラスヒュッテ時計産業の祖 F.A.ランゲ
 
協力◎A.ランゲ&ゾーネ
www.alange-soehne.com/ja
 
 
 

2019.08.22 UPDATE